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〈爾時仏告 長老舎利弗〉とは、正宗分のはじめなり。
これすなわち、この経の対告の人なり。身子は大権にして、智慧第一のきこえあり。ふかく仏智にかなえり。長老とは
大権(だいごん)
大衆を導くことに勝れている。あらゆる方法・手立てを知り尽くしている。
長老
人を愛敬し孝順すべし
「よく話を聴いて理解してくれる」
年長者は次の世代に伝え理解してくれることをもっとも喜びとする
リーダー不要論
釈尊の出家弟子たちも組織には違いありません。そうすると、リーダーが必要になります。にもかかわらず、お釈迦さまは、リーダーを認定しないと決定したのです。その代わりに認めたのは、先輩後輩という区別でした。修行に関しては、完成者と修行者という区別があります。新しい人々が出家する場合、必ず師匠が必要なので師弟関係が成り立ちます。 |
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| 仏教とのご縁は数限りなくある 修羅場があって仏への道がある |
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<等無量諸天 大衆倶〉とは、三界の諸天、無量にましますなり。かねては道俗の四衆、竜鬼、八部儀をさして、大衆とときたまえり。已上略して序分のこころを註記しおわりぬ。
四衆
比丘
20才以上の男性で、具足戒ぐそくかい=出家者の集団内で守るべき戒律を守ると約束した人です。出家した専門修行者です。具足戒は破ると追放などの罰則があります。
比丘尼
20才以上で具足戒を守ると約束した女性です。当初お釈迦様は、女性の出家を認めていなかったのですが、養母の希望と阿難の仲介によって、条件付で認めるようになった、と伝えられています。したがって比丘尼の第1号はお釈迦様の養母=摩訶波闍波提となります。
優婆塞
五戒を守ると約束した在家の男性です。近事男とか清信士などと訳します。
優婆夷
五戒を守ると約束した在家の女性です。近事女とか清信女などと訳します。
八部衆 釈迦の説法を聞いて改め、釈迦に仕えるようになった。
天(てん):天界の神々
龍(りゅう):水や雨を司る蛇身の神
夜叉(やしゃ):本来は鬼神だが仏教の守護神となった
乾闥婆(けんだつば):香を食べる天界の音楽神
阿修羅(あしゅら):常に戦う戦闘的な神
迦楼羅(かるら):巨大な鳥の王
緊那羅(きんなら):歌や舞を司る音楽神
魔ご羅伽(まごらか):大蛇が変化した音楽神
「修羅場(しゅらば)」とは、血みどろの激しい戦いや、極度に緊張した争いの場面を指す言葉。阿修羅(あしゅら)と帝釈天(たいしゃくてん)が果てしない戦いを繰り広げた場所に由来。 |
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| 帝釈天 荒々しい存在から柔和な存在へ 愛情から護持(護る)へ 能力から多様へ |
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<釈提桓因〉とは、ここに能天帝と翻ず。すなわち、三十三天の主、帝釈天これなり。
◎釈提桓因
インド語の「シャクラ・デバナーム・インドラ」の音写で「帝釈天」のことです。「梵天」とともに仏教を守護する神といわれます。『大経』の八相化儀に「釈・梵は奉侍し」とある方です。
インドラとしては荒々しい戦神でしたが、仏教に帰依してからは仏の教えを聞き、柔和で慈悲深い性格に変わったとされています。
戦いの~は一見恐ろしさを感じますが、それは愛情の表現です。愛あるがゆえに愛する者を護るために争うのです。一方仏法護持とは自尊尊他の精神に立った関係性の構築です。今の言葉で言えば多様性を認める社会の実現です。お釈迦様は能力主義から無常性を感じ取り、真の平等性(多様性)を認める社会を実現されようとしたのです。そこにいのちの尊厳があり、インドラ(帝釈天)に関する説話も多数生まれてきたのです。(雪山童子・月の兎・シビ王と鷹など)
捨身月兎(ウサギの布施)
昔、ある深い森にウサギとサルと山犬とカワウソが住んでいた。 四匹の動物たちはとても賢く、お互い仲良く暮らしていた。 ある日のこと、ウサギは他の三匹に「貧しくて困っている者に布施をしよう」と話した。翌日四匹は、食べ物を探し回り布施の用意をした。しかし、ウサギだけは用意する事が出来なかった為、ウサギは考えた末に自分の体を施すことにした。 それを知った帝釈天は、ウサギの気持ちを試そうと僧侶の姿になり、施しを求めに現れた。ウサギは「薪を集めて火を起こしてください。わたしはその火の中に飛び込みますので、体が焼けたらその肉を食べて、修行に励んでください」と話し、僧侶に火を起こしてもらった。ウサギは「もし、わたしの毛の中に、ノミやシラミなど、生き物がいたらそれを殺してはならない」と念じて、3回体を振り、薪火の中に身を投じた。ところが炎は、ウサギの体の毛穴一つも焼くことはなかった。うさぎは「僧侶さま。あなたの起こした火は、まるで雪のように冷たい。いったいどうしたことでしょう。」と問うと僧侶は、「ウサギよ。わたしはただの僧侶ではない。帝釈天である。おまえの布施の心を試すために天界から降りてきたのだ。」と言って、この立派な行いが世界のどこにまでも知れわたるように月の表面にウサギの姿を描き帝釈天の姿にもどって去っていった。その後、四匹の動物たちは月夜になると森の広場に集まり、明日からまた施しが出来るように働こうと誓った[8][9]。この説話は今昔物語集などにも収録されている。 |
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| <常精進〉と不休息と古来一異を決せず。 実践と伝承 他を尊ぶ生き方 |
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霊芝のいわく、
不休息は衆生無尽なれば、修因感果も、きわまりやむことなきがゆえになづく。常精進は衆生無量なれば、上求下化も、しばらくもおこたることなきがゆえになづく。
(『阿弥陀経義疏』)
【意訳】
そこには数え切れないほどたくさんの仏道を求め、自利利他円満の功徳を成就し決して失うことのない方々がおられました。文珠菩薩・弥勒菩薩・阿逸多菩薩・常精進菩薩なども列席されていました。
※すべての衆生を救うために昼夜を問わず、常に弛むことなく修行と布教に邁進(まいしん)する姿を象徴しています。
絶え間ない努力こそが自らを清め、他者を救う力になることを体現しています。
孤山師のいわく、
中道の正観念々に流入するを、不休息となづく。二辺(両極端)の懈怠を遠離するを、常精進となづくといえり。( 『阿弥陀経疏』意)
菩薩の所修の願行は本来これおなじ方便のゆえに、機に随うて名をたつることあり。あながちに、わかつべきにあらずと、故人もいえり。
※これらの教えは、他者を徹底して尊重する姿勢と、困難に屈せず仏道を歩み抜く実践を象徴しています。
※参考
わたしはあなたを深く尊敬します。けっして軽んじたり、あなどったりすることはありません。何故かといえば、あなたはきっと菩薩の道を歩まれ、将来必ず仏になるべき御方(おかた)なのですから。
と讃めたたえ、ただただ礼拝をくり返したといいます。ここでは、すべての人間が平等に深く尊敬されるべき根拠として、ただ「仏になる」という一点が強調されています。
「仏になる」とは、人間が本来もっている深い願いに目覚め、人間としての最上の価値と喜びを達成することをいいます。深い願いに目覚め、それを達成するために精進する修行者が「菩薩」であり、そのような人間としての本当の理想を実現した存在を「仏」と呼ぶのです。 |
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〈乾陀訶提〉 ここには不休息という。
◎乾陀訶堤菩薩
「乾陀」(ガンダ)は香という意味で、訶堤(ハスティン)は象という意味な ので「香象菩薩」とも訳されています。
香象 青色で香気を帯び、河海(大きな存在)をかち渡り(直接歩いて渡ること)するという想像上の大きな象。
青い肌を持ち、体から非常に良い芳香を放つ巨大な象の姿をしているとされています。仏教において象は「強さ」や「実践」の象徴であり、勇猛精進や護戒の徳を表す存在とされています
精進 何事(誘惑)にも邪魔されず、実践する勇敢な心を言います。得てして他人に責任を押しつけて、自分は平然としている生き方をしている場合が無意識の中で行われていることも多いのではないでしょうか。ここで香象菩薩が出てくるのは、極楽という世界が夢の理想郷ではないということです。実践のうえに成り立つ世界でありということです。 |
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〈阿逸多〉 ここに無能勝という。これすなわち、 弥勒菩薩の姓なり。
◎阿逸多菩薩
インド語の「アジタ」の音写で、「無能勝」と訳されています。この方に勝る 者がないという意味です。「弥勒」菩薩であるとも言われています。
弥勒菩薩
未来永劫
弥勒菩薩の説話は、お釈迦様が説かれた仏教は、不変不滅のものであることを教えようとされたものだと思います。お釈迦様が説かれた教えは、お釈迦様の個人の
見解ではなく、この世界を貫く真理であることを伝えようとされているのです。
次世代へ
時間・空間を超えて弥勒の雄大なスケール弥勒は未来における人間のあり様を説き、人間の救いを説いて多くの人々の心をひきつけているのは救いの対象となる人間への信頼でもあり危険信号とも言えるのです。 |
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| 文珠師利法王子 「三人寄れば文殊の知恵」とは 偏らない智慧 |
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〈文珠師利法王子〉 ここに妙吉祥と翻ず。 法王子とは、仏種をさかんならしむるをいう。また仏は法王たり。菩薩は正法位に入り、十地までを悉く法王子となづく。下の菩薩にもかむらしむる御ことばなり。
◎文殊師利法王子
阿弥陀仏の脇士に、智恵を表す「勢至菩薩」と、慈悲を表す「観音菩薩」があるように、お釈迦様の両脇士には、智恵を表す「文殊菩薩」と慈悲を表す 「普賢菩薩」があります。絵や彫刻で見ることですが、文殊菩薩は智恵を表す獅子に乗っておられ、普賢菩薩は慈悲を表す象に乗っておられます。
「文殊」のインド名「マンジュスリ・クマーラブータ」を前半を音写、後半を意訳で「文殊師利・法王子」となりました。
文殊は「三人寄れば文殊の知恵」ということわざでも知られますが、個人の思い込みから離れて対話や学びの場に智慧が立ち現れるという意味です。「思考を澄ませ、言葉を整え、偏りをほどく」象徴です。 |
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身近な生活の中で仏につながることはたくさんあります。たとえば朝の鳥のさえずり、家族の優しい言葉掛け。しかし、それさえも難しいことがありますが、心がけてみるとあらゆるところに仏とつながることがあります。
〈并諸菩薩摩訶薩〉とは、つぶさには 摩訶菩提薩タ という。ここには大道心成衆生と翻ずといえり。
※すべての人、特別な人だけの教えではなくあらゆる人を対象にしている
さきに弟子十六人の名が紹介され、次に菩薩が紹介されます。それは、直接の弟子・出家した人のみを対象に説かれた狭い範囲の説法訶利勒果(人間全般の解毒・整腸作用)ではなく、出家しない在家の人を含む広い範囲の方々菩薩方を対象に説かれた大乗の教えであることを示しています。
※菩薩 自ら仏果(仏になろうとする)を求め、他の衆生を教化する者。
(インド語 ボディサットバ)
※摩訶薩 インド語マハー・サットバの発音を漢字に当てたもので、「偉大な人」 という意味で、菩薩を尊敬してつけた言葉。
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| 阿菟楼駄 天眼第一 心の眼とは 貧しさを味わうことがない徳 |
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〈阿菟楼駄〉は、また阿那律という。ここに無貧、また如意ともいう。已上の一十六人は上首なり。かるがゆえに、〈如是等諸大弟子〉とのたまえり。
阿ぬ楼駄(アヌルッダ)天眼第一
お釈迦様の従弟で天眼第一といわれます。その理由は、説法の最中に居眠りをし、お釈迦様から叱られ反省をし、「今後眠りません」と七日間も目閉じない修行をして、それが原因で肉眼は失明しましたが、心の眼(天眼)を得たといいます。『大経』では「尊者・離障」と言われる方です。
※無貧 貧しさを味わうことがない徳とは
ある時、新しい衣を縫わなければならなくなったのですが、縫うには、針に糸を通さなければなりません。ところが阿那律は目が見えないので、なかなか通らなくて困っていました。そこで「誰か、善を求めようと思う人は、この針に糸を通してくだされ」と周りに呼びかけました。すると、「私がさせてもらいたい」と近づいて来られたのがお釈迦様でした。
阿那律はその声に驚いて、「お釈迦様は、すべての善と徳を身につけられた方ですから、もう善をされる必要はないのではないでしょうか」とお尋ねすると、
「仏のさとりを開いたからといって、小さな善をおろそかにしてよいはずがない。世の中で、私以上に善を求めることを心がけている者はないであろう」
と答えられたといいます。
お釈迦様は、目の見えない弟子の糸を通してやるという善をしておられます。仏のさとりを開いても、死ぬまで善に励まれたことが分かります。
ましてや私たちは、仏教の教えによって変わらない幸せになっても、善をやらなくていいということにはなりません。
※無貧 如意
彼は過去世において、弗沙仏の末法の世で飢饉があり、飢えた縁覚衆(師に依らず独りで悟ろうとする人たち)に稗の飯を与え施した為に、現身に宝を得て、さらに九十一劫もの間には人天に生まれ果報を得て貧しさを味わわず、彼の願う事は皆、意の様になったという
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| ◎薄拘羅(バックラ)長寿第一 ここに善容という。色貌の端正によりて名とす。 長生きの秘訣 |
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この方は百六十歳まで生き、長寿第一といいます。「色貌の端正によりて名とす。一百六十歳、無病無夭なり。不殺戒を持つ宿力によりて、九十一劫中夭せず。また病僧あり。一つの訶利勒果をほどこすゆえに、無病なりと論説にもみえたり。
@不殺生戒をよく守り、少欲簡素であったためといわれています。『
A訶利勒果
薬としての起源: 元々はサンスクリット語の「ハリータキー」に由来し、インドの伝統医学アーユルヴェーダでは三大果実のひとつとして整腸剤や解毒剤に重宝されてきました。
B小欲知足
人間の欲望には際限がなく、一つの欲望が満たされても、さらに次の欲望が湧いてきて心は常に満たされません。この「満たされないこと」自体が悩み(苦しみ)の根本的な原因であると仏教では考えます。足ることを知ることで、無駄な執着から解放され、穏やかな心(平穏)を保つことができます。 |
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<劫賓那〉ここに房宿という。 知識の限界を知る存在 知識も使い方を間違えると大きな争いへと使用される
星をいのりて子を感ずるゆえに名とするなり。 |
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◎摩訶劫賓那(マハー・カッピィナ)知星宿(ちしょうしゅう)第一
この方は、十大弟子の一人で、天文や暦の知識があったので、知星宿第一といわれます。インドの名の「房宿」という意味の由来は、父母が星に祈って生まれたという意味と、旅の途中に雨宿りした家で仏弟子に会い、その比丘より仏法を聞いて仏道を体得したという意味があります。
クックタという辺国のクシャトリア(王族)の子で、父に継ぎ即位したが、自身の力量のなさを思い知らされ、仏教に帰依して出家。
電波には依存できない時代にあっては、星の動き・天文や暦の知識があることは確実な位置・姿勢決定手段として非常に重要視されていました。
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| 迦留陀夷(カールダーイン)教化第一 問題を解決するのではなく共に悩む存在 |
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◎迦留陀夷(カールダーイン)教化第一
お釈迦様と同じ日に生まれたと言われています。
幼い時から、人並みすぐれた才知と、巧みな弁舌をもっ人々の注目をあつめていた。ある時、出家しようとしているシッダルタに、父の浄飯王の依頼により出家を思いとどまるよう説得する役を引き受けることになった。
しかし、カールダーインは世俗の歓楽に生きる若者でもあり、シッダルタの悩みなどまるで受け止めることができなかった。そんな二人がそういう状況の中で遇ったとき、共に言葉にはできない共通の感情をもったと言われています。
※世智弁聡
その場その場を言葉巧みにすりぬけ、思慮浅くたびたび問題をおこしていたとも言われている。
その生き方を悔いた時から、多くの家庭の問題を解決する教化第一の者といわれるようになりました。その数千ともいわれたが、教化しようとしたものに恨まれ殉教されたとも言われています。。
教化第一
お釈迦様の弟子の中で、人々を感化し教え導くことに最も長けていたのは迦留陀夷(かるだい)です。彼は在家の人々の中に入り、人間関係のトラブルや複雑な悩み(特に色情問題など)を巧みに解きほぐしたとされています。
いろいろと問題を起こした人であるからこそ、人の悩みを聞き共有することができたのでしょう。教化の中で大切なことは問題を解決することではなく、共に悩むということでしょう。 |
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| <賓頭盧頗羅墮> 説法が他の異論反論を許さずライオンのようであったため獅子吼第一といわれるようになった 本当の強さとは? |
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<賓頭盧頗羅墮> 賓頭盧ここに不動といい、頗羅墮は捷疾というなり。
◎賓頭廬頗羅堕(びんずるはらだ) 獅子吼第一
賓頭廬が名で、頗羅堕が姓です。ある金持ちが、栴檀の木で作った高価な鉢を高い柱の上に置き「取れるか」と言った時、この比丘が神通力で鉢を空中に飛ばし、人々が驚き集まってきました。お釈迦様は、その術を戒められ「無益なことはするな。私の死んだ後も残って、人々に仏法を説け」と命じられました。
賓頭廬頗羅堕は長命でもあり、教化する力がすぐれていたので、獅子吼第一といわれ長い間教法を伝えるのに力を尽くしました。
人間誰でも能力が優れていると、勘違いをして人より勝れていることを誇るようになります。本当の意味で勝れているということは、時には獅子のように畏れられる存在であることを忘れてはなりません。ただ単に、獅子のように勝っていると思うことは、大きな戒めにもなります。本当の優しさとは、本当の強さとは、本当の救いとは一生かけて問い続けた方でもあります。
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| <きょう梵波提〉 ここに牛詞という。 解律第一 解律の目的とは 本来はよき習慣をもつこと |
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<きょう梵波提〉 ここに牛詞という。 (ガヴァンパティ) 解律第一
ベナレスの長者の子で、その顔が牛に似ていたので、牛(ご)王とよばれていたといいます。彼は、日頃親しくしていた友(ヤサ・耶舎)が出家したため、その後を追って出家したのですが、これには次のような話が伝えられています。耶舎は、放蕩にすさんだ生活をしていましたが、ある夜眠りこける伎女たちの醜い姿を見て厭世の心にかられ、ただれるような歓楽に明け暮れる生活から逃れようとしました。そして、家を出てさまよい歩いている時お釈迦様に出遇い、その端正な姿にうたれて、教えを受け出家しました。これを聞いた?梵波堤も、他の三人の友と共に出家し、舎利弗を先生として解律第一といわれるようになりました。?梵波堤はインド中央部を離れて、多く辺地に住み人なかをさけて静かに独り修行を楽しんでいたということです。
過去世に罪があり、牛として生れた事があったといい、食事の際も、反芻(食べたあとも再び食物を口中に出し噛んでいた)していたといわれ、また足の爪が牛のようだったという。その習慣が残っていたので牛相比丘といわれた。牛のように一人こうして師の教えをじっくり学ぶのが性にあっていたという。牛が食事の時に反芻するように、何度も何度も復習して身体に教え込んだ。そのため他人の毀誉褒貶を避けて天上界に住んでいたために、仏の入滅を知らなかったといい、彼はそれを聞いて知ると自身の身体を焼いて入寂したという。
◎よき習慣をもつこと
仏教における「戒(かい)」は、本来「正しい行為」や「良い習慣」を意味する言葉です。自分を縛り付ける厳しいルールではなく、心を穏やかに保ち、自分や他者を守るための「良き習慣」なのです。
他と関わるということは、そこに必ず良き習慣がなければならないのです。
その一環として「宗活ダイアリー」を始めさせていただきました。
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<羅ご羅〉ここに覆障という。仏嫡子なり。往業にむくうがゆえに、胎にましますこと六年なりといえり。
◎羅ご羅(密行第一)一般の仏弟子には思い知ることもできないほど数多くの戒律を持つもの
ラーフラ(心を束縛し、悩ませるものと釈尊は自分の息子を命名した)
愛を渇愛とする仏教の精神の根底
1行うことによって、自身の課題が明らかになるということ
仏教、特に密教などにおいては、「密かに(人目につかないように)行う修行」や、戒律を厳守して密かに行う修行そのものを指します
2愛の本質→拘束する愛 拘束からの解放
愛あるがゆえに悩みとなる
3釈尊の子としての悩みと罪 課題の連続
甘え
正当に評価されない空しさ
素直さゆえに問いも少ない 身につかない
問いの少ない羅ご羅ゆえに、そのための戒を与えられた。戒律とは、普段当たり前にしていることが、今一度教えによって、果たして当たり前のことなのかと問い直すこと。
魔の四軍 仏道精進の段階
1楽欲 その日その日を楽しく過ごせればよい。無理なことはしない。
2不快 楽欲を乗り越えると今度は心身に不快を生ずる。身に無理をする。
3飢渇 孤立するばかりでなく、生活苦に迫られる。
4渇愛 どんな苦悩・苦労も厭わなかった者も、自分が愛するものに惑わされる。
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聞くことの大切さ 難しさ
聞くということは、単に耳で音を聞くことではありません。いわば受け身的な行為、向こうからこちらへ来るものを受け入れる、相手のこころを受け入れる行為といえます。そしてそれは、単に聞き流すということではなく、自分のほうがそれに対して何らかの応答をするということがあってはじめて、聞くということになるのだと思います。
聞くということは、私のほうが従になり、主は相手側です。相手の人間であり、その他いろいろです。いずれの場合でも、自分は従の立場に立ち、相手が主の立場にあるということです。
自分が主の立場に立ち、相手を無視する、押さえつける、ということになると、「聞く」ということは成り立ちません。
私たちには、聞くということが、人間にとって実に素晴らしいことなのだという経験が大切なのではないかと思います。これがまた大変難しくて困るのですが...。聞くということは、とにかく相手が主なのです。自分はどこまでも従です。その意味では極めて受動的、受け身的です。でも、これが本当にできると楽しいことで、歓喜なのです。
阿難は釈尊が29才で王宮をすてて出家された年に生まれた。父は浄飯王の弟で、つまり釈尊とは従弟であり堤婆とは兄弟。
1心優しい侍者
目蓮・舎利弗の強い勧めもあり、次の三つを条件として侍者を引き受けた。
@釈尊の新旧の衣服または食物を受けないこと
A釈尊が在家に請侍されたときは必ずしもお伴しなくてもよいこと
Bどのような時でも釈尊にまみえてお給仕申すできること
釈尊入滅のときも、阿難は釈尊の床を整え、自分のできるすべてのことをし尽くした。
2出家時の釈尊の反対
容貌が整っていることと、優しい心が逆に教団を乱すのではないかと心配されて 出家を拒否されていた。
女性出家者誕生への努力。それがまた誤解を生むこともあった。 3聞法第一
背中に腫れ物ができ急いで切開をしなければ命取りになる時の話。
聞法している時に切開(今とちがって麻酔もない)
しかし、なかなか覚ることができず釈尊滅後、結集に呼ばれなかった(経典整理)
出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の仏典結集には彼の参加が望まれたが、当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという。ときに仏典結集当日の朝のことであったという。
こうして王舎城・七葉窟にて行われた第1回の仏典結集に晴れて参加した阿難は、記憶に基づいて釈迦の教えを口述し、仏典が編纂されたという[3]。漢訳仏典の冒頭の「如是我聞」という定型句は、「我は仏陀からこのように聞いた」という意味であるが、この「我」とは多くが阿難であるとされる。
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| 難陀(儀容第一 正しい行い) 正しいとは? 正義は相手を殺す? |
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※儀容
礼儀にかなった姿や立ち居振る舞い、堂々とした態度のことです。身だしなみや風采を含めた、外見から感じられる気品や品格を指す言葉。
私たちは正しいというところで相手を追い詰める。追い詰めて勝ち誇ったようですが、実は大変なことが起きていることに気づくことができないのです。正しさとは、正論とは往々にして相手を傷つけるものです。正しさの反対は誤りでしょうか?底には空しさが存在しています。無力感・無関心へと導いていくのは世の常です。それを証明した人が難陀です。
釈尊の母親(マヤ夫人)は生後(釈尊誕生後)七日目に亡くなられ、その妹(マハーパジャパティー)によって養育されました。その間に生まれたのが難陀。釈尊出家後、息子(釈尊の息子)のラゴラが幼かったこともあり王位継承者となりました。美しい妃をもらって、幸せの絶頂にあった時、釈尊の強い希望により出家することにりました。
幸せの絶頂期
幸せの絶頂期に無理矢理の形で出家させられたこともあり、何度と教団を抜けようとしたり、修行に身の入らないことも度々であったといいます。
※釈迦族の滅亡と難陀出家の意図
敵に攻められたとき釈迦族は徹底抗戦はしたものの、敵軍を致命的に傷つけることなく、滅亡に到ったという。その中でどうしても満足しなかったシャマは勇敢に戦い、多くの敵軍を死に至らしめ追いやったが、誰一人として釈迦族のものは褒め称えようとしなかったといいます。釈迦族の中に不殺の行が徹底していたことを表すエピソードであるとともに、どんなに華やかな世界にいて享楽の限りを尽くしても、いずれは終わりを迎え、空しい人生になっていくことを暗示され難陀に出家を強要されたといわれています。
正義と多様性
多様な人たちが語り合い、理解しあい、認め合うことが必要だ。誰もが自分の才能や自分の育ちを否定したくない。しかし、相手にも同じように異なる才能や育ち方があるはずです。
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| <周利槃陀伽〉 ここに蛇奴という。 本当の賢さとは? |
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聡明な彼の兄、摩訶槃特(マハー・パンタカ)に比べ、周利槃特は、非常に物覚えが悪く、自分の名前すら忘れてしまい、自分の名前が書かれた札を、背中に貼られていたというほどで、我が弟を不憫に思った兄の導きにより、彼も仏弟子となって修行をしていたのです。
あまりにも愚かな弟の姿に呆れた兄の摩訶槃特に、修行を続けることを諦めて、郷里へ帰るように諭された周利槃特が、精舎の外に一人佇み、静かに泣いていたところ、釈迦がその姿を見て、彼に近付いて来たのです。
「周利槃特、何を泣いているの?」「世尊よ、私はどうしてここまで愚かなのでしょうか。 このままでは到底、あなたの弟子など務まりません」
「それは違うよ、周利槃特。 自分の愚かさを知る者こそが、智慧ある者なんだ。自分の愚かさに目を向けず、自分が賢いと思う者こそを愚者と言う。お前は自分が愚かだと、既に知っているじゃないか?」
なおも落ち込む周利槃特に、釈迦は一本の箒を渡した。「お前はこの箒を持って、今日から毎日、精舎の掃除をしなさい。そして、掃除をしながら『塵を払い、垢を拭わん』と称え続けるんだ。 これだけ短い言葉なら、お前にも覚えられるだろうからね」
その日から周利槃特は、釈迦に言われた通り、ただ一心に、『塵を払い、垢を拭わん』という言葉を称えながら、来る日も来る日も、精舎の掃除だけに徹した。
やがて、彼の心の中に、一つの疑問が沸き起こった。「“塵”とは何だろう? “垢”とは何だろう?」周利槃特は、延々と掃除をしながら何十年も考え続け、終に、それが自分の心の中にある『三毒』に他ならないことに気付いたのです。
「どんな人の心の中にも、この三つがある」このことこそが、釈尊の教えであることに気付いた周利槃特は、一心に箒を持って掃除をすることだけによって、阿羅漢の覚りを得ることができたのです。
賢いと思っている人ほど、人を傷つけていることに気づかないことが本当に多いのではないでしょうか。 |
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<離婆多〉ここに 星宿という。
◎離婆多(りはだ)(レーバァタ)
無倒乱第一 迷いや乱れがないこと 静かに坐禅することを好んだ
舎利弗の弟でリハタという星が出たとき生まれたので、それが名前になったと言います。小欲知足(欲望を出すことが少なく、心の足ることを知っていた)の人といいます。
小欲知足
欲をなくすことではない: 欲望を完全にゼロにするのではなく、欲望をうまく制御・コントロールする(「欲を制御する生活」)という意味です。真の幸福への道: 他人と比較せず、自らの欲望を見つめ直すことで、心の安定と平穏を得るための教えです。日常生活での実践: 「足るを知る」という心構えは、ストレス社会において心にゆとりをもたらす指針とされています。 |
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| 摩訶くちら 大膝 大きな膝というのは問答をする上に大切なこと |
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< く稀羅 〉ここに大膝という。 その屈折によって人体を区分する
◎摩訶くちら(まかくちら)(マハー・コッチタ)
四弁第一(問答第一) 雄弁家
問答第一
問答(対話・質問と回答)において大切なことは、単に知識を得ることではなく、相互理解を深め、互いの思考を刺激して新しい気づきを得ることです。
四無碍弁
@法無碍 教法に通達している
A義無碍 義理を知り尽くす
B詞無碍(辞無碍) 各国語に巧み
C弁無碍(楽説無碍) 説法の自由自在なこと
舎利弗の母の弟で、甥の舎利弗が出家して、お釈迦様の弟子になった姿を見て、自分も仏教を求めたということです。弁才にすぐれ問答第一・四弁第一と言われます。大きな膝をして、学ぶに懸命で爪を切る暇もなく「長爪(そう)梵士」とも言われたそうです。
膝を折る(ひざをおる): 膝を折り曲げて座る、または相手に頭を下げる。
膝を打つ: 感心する、名案を思いつく。
膝を交える: 親しく相談する。 |
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| 摩訶迦旃延(まかかせんねん)(マハーカッチャーナ)論議第一 聡明であるがゆえに妬まれることも 比較から生まれるもの 冷静とは? |
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子供の頃より聡明で、一度聞いた内容は忘れず良く理解したと言われる。それでも難解で理解できないことがあり、お釈迦さまに教えを請うことになり、これがきっかけで弟子となったとされています。
仏の短い教えの「真意」を汲み取り、それを論理的な言葉で再構成して教えることに長けていたため、教団内でも信頼が厚かった。仏の教えを広く解りやすく、義を分別して広説し、お釈迦さまから讃嘆された。幾人かの王に四姓(祭司>武士>平民>隷民のカースト制度)の平等を説いて回ったといい、釈迦滅後も弘教に努めたといわれています。
聡明であるがゆえに妬まれることも 比較から生まれるもの
年長者(老師)を敬うべきかという問答がありますが、年長者だから人生経験が豊富だからといって一方的に相手を下に見る人はとても尊敬に値するものではないと応えたと言います。年長者に値するような言動をもって接することができないならば、それはとても老師とは言えない、年齢だけ重ねてもおよそ老師とは言えない。私たちにも大きな教えとなる問答です。どのような人に対しても冷静に対応する人から平等が生まれるのです。
聡明であるがゆえに兄からも妬まれることがあったと言われています。どこまでいっても比較するところに悩みが生まれてくるのです。若い美しい健康、あらゆるところで比較する存在ですから・・・。
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| 真の豊かさを求めて 頭陀第一 摩訶迦葉(マハーカッサパ)1 |
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1釈尊と似た境遇の生まれと育ち
大富豪の家に生まれながら、無常を感じながら成長
2頭陀第一
頭陀とは、人間の世俗的欲望を代表する衣食住の三つに対する執着を払い捨てるために、極めて厳しく、質素な生活の中で、仏道を実践修行すること。
豊かさゆえの悩み
豊かさと貧しさ
物理的と精神的の乖離: 物質的に満たされていても、モノを欲しがり続ける心は「貧しい」と評される。
心や時間の豊かさ: 経済的開発や資本主義的な「便利さ」が、必ずしも真の「幸せ」や「時間的余裕」につながるとは限らない。
見方の違い: 経済的な視点では貧しくとも、コミュニティの繋がりや自然との共生において「豊かな」生活をしている地域がある。
2頭陀第一
頭陀とは、人間の世俗的欲望を代表する衣食住の三つに対する執着を払い捨てるために、極めて厳しく、質素な生活の中で、仏道を実践修行すること。
「豊かさ」と「貧しさ」は、経済的な所得だけでなく、心のゆとり、時間、人間関係などの主観的・相対的な概念である。日本では約6人に1人が相対的貧困にあり、経済的成長の裏で精神的・人間的な生活の豊かさが犠牲になっているという側面が指摘されている。 |
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| 積極型人間 目連尊者 積極的な対人関係: 初対面でも物怖じせず話しかける。 神通力第一 |
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神通第一
神通力とは?
その人がもともと身につけていた能力を発揮する力。身に埋もれている能力をきびしい訓練で引き出す力。身に備わっていないものは、どんなにがんばっても無理。つまり、自分にできることとできないことを見極める能力。できないことをいつまでも夢みたり、できることをすぐにあきらめたりする生き方に対しての警鐘。
積極型人間の特徴
積極性と聞くと、“自信がある人”のようなイメージを持ちますが、常に目標と問いをもっている人です。自信ではなく行動することによって問いを明らかにしようという姿勢です。知らないことを知ろうとする能力でもありますが、時に理解されないこともあり、智慧第一と言われた舎利弗とは行動パターンが対象的とも言えます。 |
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| 個性豊かな面々との出遇い 舎利弗 思索型 問い続ける人生 |
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思索型(しさくがた)の人は論理的・客観的に深く考える傾向が強いタイプのことです。内向的で社交意識が低めな一方、冷静な分析力や慎重さを持ち、データや事象をじっくり観察してから行動する特徴があります。長老で智慧第一と言われた舎利弗はまさにその代表格です。
バラモンの出身 人生の歓楽を求めるなら、ほとんど思いのままになる境遇にありながら、しかも歓楽に満たされない自分を感じていた青年時代。
祭りに夢中になっている人々の姿を見て、出家を決意したり。反対する両親には、七日間の断食によつて説得。考えれば考えるほど苦しむタイプでした。最初は釈迦ではなく他の師匠についたけれども、心は一向に安らかになりませんでした。ある時托鉢する僧の姿を見て、その姿に心を打たれて釈迦の弟子となりまし。
舎利弗は智慧第一といわれるまでの人でありながら、なかなかさとりを得られなかったということです。それは、問題の一つ一つをいい加減にしなかったあらわれでもあり、学ぶということは問い続けるということの証でもあります。 |
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祇園精舎の意味するもの
出家した人や知識人を対象にした教えではなく、どなたにも分け隔てなく釈尊が自由に教化する一つの拠点として建てられた道場という意味をもっています。それまでは条件付きの道場であり特別な教室であったものが、広く門戸を広げるだけではなく、そこに教化の対象者として善男子・善女人という呼びかけの言葉となって何度も出てくるのでしょう。 |
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釈尊伝などには、釈迦族が滅亡していく物語も伝わっておりますが、当時のインドは戦火が絶えず、身寄りを失った子どもや老人たちがたくさんいて、須達多長者のような篤志家がそういう人たちの生活を支えていたのだろうと思います。ところが、食べ物と着る物があれば人間は生きられるかといったら、そうではないわけです。なかには心の闇を抱えていた人もおられたのでしょう。この祇園精舎が建立されるにあたっては、その名の由来になる有名な物語があります。
須達多は、物質的な援助だけでは、人の心の傷や隙間を癒すことはできないことに気づき、かねてから何とかできないものか心を痛めていました。そんなある日、仕事で出かけた町で、釈尊の説法を聞き、いたく感動して、ぜひとも自分が世話をしている人たちにも、お話を聞かせてもらいたいと思い立ちます。
そこで、釈尊に滞在してもらえるような場所を用意しようとあちこち探すのですが、なかなか適当な場所が見つかりません。八方手を尽くして、やがてよい場所が見つかったのですが、持ち主の祇陀は手放そうとしませんでした。ここしかないと思い定めた須達多は何度もお願いしたところ、祇陀はその場所に金を敷き詰めたら、その分だけ譲ってやるという難題をふっかけました。おそらくそう言って諦めさせようとしたのでしょう。ところが須達多は、蔵を開けて本当に金貨を敷きつめ始めました。それを見て、祇陀は須達多の志にいたく感銘して、とうとうその土地を譲ってくれました。須達多は、そこを釈尊やお弟子たちが滞在できるように整え、祇陀も樹を寄進し、こうやって立派な精舎が完成しました。そしてそこは「祇陀の樹のある給孤独長者の園」、すなわち祇樹給孤独園として、その名が後世にまで伝えられることになりました。 |
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「祇樹給孤独園」は、「祇」は音写で、祇陀という人の名前の音をとっています。その祇陀が樹を植えたという意味で「祇樹」です。それ以外の字にもそれぞれに意味があります。「給孤独」というのも人の名前です。須達多という人が給孤独長者と呼ばれていた、いわばあだ名です。「孤独」の「孤」という字は、孤児という語がありますように、「親をなくした子ども」という意味です。「独」は、独居老人というように、「老いて子なきを独という」のだそうです。
その名の通り、この須達多という長者は、身寄りのない老人や子どもに給食をしていた。今日で言えば福祉活動を行っていたことから、人びとから給孤独長者と呼ばれていたのです。 |
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極楽は死後の世界ではないと言いながら、一方では極楽が死後の世界であると受けとられてもしかたがない内容の経典を日々読誦しているわけです。そのことについてきちんとした理解を持ち、説明をすることを怠ってきたのではないか。
今私たちが考えてみなければならないことは、死後の世界としての極楽浄土の実在を信じられるかということよりも、なぜこのような内容の経典が生まれ、そして受け継ぎ伝えられてきたのか、ということではないかと思います。それが仏典として語られていることは間違いないのですから、そのことを大切なこととして受けとめようとするかどうかです。
どうしてこのような経典が生まれてきたのか。そして、どうしてそれが二千年以上も大切にされ続けてきているのか。そういうことを、一度きちんと確かめなければならないのではありませんか。その上で、この経典が今日的な意味においてなお意義があると言えるかどうか、そのことを見定めていきたいと思います。それは、現代だけではなく、いつの時代でも行われてきたことであるし、これからもやっていかなければならないことだろうと思います。 (『親鸞に聞く阿弥陀経の意』 藤場俊基氏著より抜粋)
現代とは違う、しかし現代とつながる社会状況が阿弥陀経の背景にあるのです。
現代はソロ活として注目はされていますが?
「おひとりさま社会」は、決して寂しいだけの社会ではなく、個人が自立しつつ、必要な時に公的・民間サービスや緩やかな地域コミュニティとつながり合える「新しい共助の形」を模索する段階にあります。
「おひとりさま」としての老後の備えや、最近注目されているソロ活(ソロかつ)とは、食事、旅行、趣味など、誰とも約束せず自分ひとりで好きなことを満喫する活動のこと。他人に気を使わず「自分のペース」で自由な時間を過ごせるため、20?40代の働く女性やZ世代を中心に新たなリフレッシュ・癒しの手段として注目されているのですが・・・。
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日本は2025年に全世帯の約4割が単身世帯になる「おひとりさま社会」を迎えつつあります。未婚率の上昇、長寿化、高齢化による配偶者との死別が主因であり、若者だけでなく高齢者の独居も急増しています。自立した生活の一方で、介護や死後の手続き、孤独死といったリスクが課題であり、身元保証や身寄り問題、孤独対策などの社会インフラ整備が急務です。
理由として
@非婚・晩婚化の進行 2020年時点で国民の約44.1%が独身であり、今後も増加傾向にあります。
A高齢化と多死社会 長寿化により、配偶者と死別して「おひとりさま」になる高齢者が増えています。
B価値観の変化: 結婚や家族を持つことが「当たり前」ではなく、個人の自由や自立を尊重する価値観が浸透しています。
課題
@孤立・孤独 精神的な不安や孤独感。
A孤独死 異変に気づかれにくいリスク。
新たな社会システムと対応
生活支援サービス: 単身者向けに特化したミニ家電(炊飯器、洗濯機)や小容量の食品など、市場が拡大。
※ゆるやかなつながりの再構築 完全に断絶するのではなく、趣味の集まりやSNS、近所付き合いなど、必要な時に頼れる関係性が重要。
ここで『阿弥陀経』の現代的意義について考えていくことになります。 |
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現代という時代をどう捉えるか、視点によってかなり違ったものになる。情報氾濫する現代にあって何が私達の指針になっていくのか全く見えにくい時代である。そのような中にあって、経典に生きる指針を与えられるとはいかなることか自身に問われてくる大きな課題でもあります。
地域のコミュニテーも大きく変化し、門徒の基盤であった村落共同体は壊滅状態へと突き進んでいる。農業従事者の高齢化により果樹は伐採され、水田も休耕田が増えていく中で、若者も就職先を求めて都市部へと移住している。
そして、日本は2025年に全世帯の約4割が単身世帯になる「おひとりさま社会」を迎えつつあります。未婚率の上昇、長寿化、高齢化による配偶者との死別が主因であり、若者だけでなく高齢者の独居も急増しています。自立した生活の一方で、介護や死後の手続き、孤独死といったリスクが課題であり、身元保証や身寄り問題、孤独対策などの社会インフラ整備が急務です。
そのような時代の流れの中で、私たち僧侶は主に儀礼を中心とした生き方を問われていることは、ある意味歓迎すべきことでもあるのです。、
この問題に真正面から向きあってみると、善導に現代の課題と対峙する指標が多く見られるのです。善導は『観経』はもちろんのこと、『阿弥陀経』においても、問い明らかにしていくことを通して躍動感をもって現代の私達に大きな世界を具現化しているのです。
現代の問題・孤立化する社会の背景と今後の指標を改めて確認しながら『阿弥陀経』を改めて読んでいきたいと思います
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