再考阿弥陀経

要門 生きる意欲
要門とはいつの時代でも、生きることにあきらめを持っている人が多いということです。昔は生きていくことさえも大変だからあたりまえかも知れませんが、これだけ生活水準があがった現代でも同じ問題を抱えています。それがまさに「孤独」の問題でもあります。豊かになれば豊かになるほど感じることでもあります。生きていくことさえ意欲を失っていく問題です。貧困の中に感じる孤独、豊かさの中にある孤独は全く違うようで本質的には共通する問題であることを提起しているのです。その問題をもっている者に開かれた世界として「浄土」「極楽」に生まれる意欲として一心不乱と提起されているのです。
頓とは 道すでにあり
1現在の発見  人生を求めてきた人の歴史・出遇い・場
これは仏教の求道(人生の意味・無意味な人生を問う)の歴史、具体的には先達(先輩)の意味です。先達がなければ、充実した生を手に入れるために仏教に求めるということは考えられない。私どもが仏教を求めるということができましたのは、すでに仏教を求めていた先達があるからです

2充実の意味を問う 学ぶことの意味 
自分の生活・人生がほんとうの意味で充実するには、どこに自分の努力する心を向けたらいいのかという問題です。
@漸頓 目覚めから目覚めへ連続する仏教

草の芽が出ようとして、ずっしりと地中に根をはる  しっかりと頭を地に着けておじぎをする 定まっているからぶれることがない 

人間の個性はそれぞれで、一を聞いて十を覚る人もいるし、いくら聞いても分からない人というより、通じないこともたくさんあります。阿弥陀経は頓の教え、その人の能力に応じた教えであるということです。念仏を勧める教えは、そこに信心同一ということがあり目覚めから目覚め、等質な目覚めが連続するところに仏教の歴史というものが成り立っている。そうういう意味を伝えているのです。


「夫、一代経を抜ずるに、方便あり真実あり、漸教あり頓教あり。いまこの経は頓教にして、方便をすてて真実にいらしめんりょうに、ときたまえる経なり。定散両門は真実にあらず。これを要門となづく。不可思議の仏智を疑惑すといえども、ついに弘願海に帰入するがゆえなり。
この経を『阿弥陀経』となづくることは、はじめに依報によりて阿弥陀をとき、つぎに正報によりて阿弥陀をときたまえり。これすなわち、植諸徳本の願より開設したまう教なり。」 『阿弥陀経文類集』


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